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六面の賽を投げたなら
(黒×白 事後描写あり 六つ星の黒視点)

范無咎と謝必安は酒場で二人して酔っ払いを宥め、客や店員を助けた。
それだけの話になるはずだった。
「あの日手を出したのはお前か?それとも謝必安か?」
数日して上のものからそう言われた時、無咎は血の気が引く思いをした。
わけがわからない、そう思った。確かに自分は喧嘩っ早い方だった、けれども仕事に対してはいつだって真っ当であろうとしており、あの時だって一切手を出していないと誓えるほどだった。
冤罪だ、そう主張するにはあまりにも自分達の立場は弱く、遣る瀬無くもある。
もちろん潔白を証明してくれるものは居ると信じられるくらいにはこの世は腐ってはいない。
けれども求められているのは真実ではなく誰かが見せしめになることだろう、その場合犠牲になるのは自分一人でいい。故に自分だけが犯人で、周りの人物には何も関係がない。そう主張する他なかった、謝必安までも同じような供述をしたと人づてで聞いてしまい、進退窮まってしまう。
どうにかして共倒れだけは避けたい、必安には……いつだって優しい彼にこんな理不尽など似合わない、そう考えていた。
そんな中で同じように働いていた男から声をかけられる。
「なぁ、厄介事に巻き込まれたらしいな。お前らみたいな要領の悪いやつが二人も揃って……」
「うるさいな、嫌味を言うつもりなら後にしてくれ」
「あぁ悪い悪い、そんなつもりじゃなかったんだが。ま、どうせ無実だって言ってくれる奴でも探したいんだろ?どだい無理な話さ」
無咎は眉をひそめる、ナニサマだと思いながらも何が言いたいのかと返してしまう。
「いやぁ別に、最近別件でごたついててさ。ちょっとした気晴らしにでも付き合ってくれよ」
「すまんが時間はない………しかし何だ別件って」
「なんだ、聞かされて無かったのか。ここしばらく雨が続いてたろ?そのせいだかなんだかで大雨が降ったら南台の大橋でいつ鉄砲水が押し寄せてもおかしくないっつー噂だ」
「なるほど……それは……大変な事だな。せいぜいお勤め頑張ってくれ」
無咎はにやりと笑うと男に背を向け来た道を引き返す。
まさかそんな事があるとは知らなかった。それにひとつだけ最低な、最上の策を思いつく。
ただ自分が消えるだけでは必安が疑われる、しかも迂闊に死体が残りそうな形で自死を選べばそれに心を痛めてしまうだろう。だから賭けに出るしかなかった。


身の回りのものを急に処分してしまっては必安に気づかれてしまうため、こっそりと金になりそうなものをいくつか売り払った、そうして出来た幾らかの金で少し良い食料品を買い揃える。前の晩手荒に抱いてしまった詫びではあるが、食卓を囲む時間がこれで最後になってしまうかもしれないのだからという理由も少なからずある。
その思いで早く帰路につき、不器用ながらも食べれるようにしていく。そのうちに「ただいま戻りました」という柔らかい声が耳に届いた。
気を張りながらも軽口を交わし合えばほんの少し安心してしまい、その様子を見た必安も貼り付けたような笑みから見慣れた笑顔に変わっていく。
「なぁ……必安」
「何でしょうか」
どう切り出して良いかがわからないままに言葉がでる。
「あー………その、調べに行った先で少し手伝いを頼まれてな、お礼にと食い物を貰ってきたんだ。……それで」
あぁ、こんな事を言いたいわけじゃない。
「なんだ、そんな事か。別にいいですよ?一緒に食べましょうか」
ふふ、と笑う姿に胸が痛む。そんな中で囲んだ食卓は言葉を交わす余裕もなく気まずい空気を感じてしまう。
いつもと違う雰囲気を感じ取ったのか、必安は首を傾げながら
「どうかしましたか?」
「いや……何でもない、お前こそどうかしたのか?」
「いえ……少し考え事をしていただけです」
再び訪れた沈黙の後、食べ終えた無咎は席を立つ。
「ご馳走様、片付けは俺がやっておくからお前は少しでも身体を休ませてくれ」
「えぇ、わかりました……ねぇ、無咎。話があるのですが」
よろしいですか、と言う言葉は静かに遮られる。
「すまん、明日でいいか?俺も話があるんだが………この後やりたい事があってな、場所と時間は後で紙にでも書いておくから、その時に頼む」
それだけを言い、彼の視線を背に受けながら逃げるように片付けをする。
やりたい事などと言ってもただの片付けだ。何を必安に遺すか、それだけをずっと考えていた。
二人で使った茶器、必安が贈ってくれた安物の筆、一つ一つに思い出が詰まっている。
それらはきっと自分が居なくなった後彼を慰めてくれるだろう、それが良い事なのかはわからないが。それでも確かめるように、思い出しながらしまい込んでいく。
最後に残ったのは数枚の紙、必安が書いた絵と自分の書いた文字が添えられたもの。
必安の描いた絵を無咎が気に入った事から始まって、だったら一筆添えて欲しいと頼まれた事が始まりだった。他愛のない風景だろうが彼の目から見える世界は光に満ちていて、それをとても美しいと思える。
その紙たちをそっと懐へしまい込み、何も書かれていない紙を準備する。
『例の事件について話し合いたい。南台橋の下で会おう』
とだけ書き記し、彼にあてた手紙を残して。
翌日、無咎が約束通り橋の下へ向かえば必安はもう先についていた。
「すまない、待たせたか?」
「いえ、僕も今来たところです」
一晩明けてなお正直口ごもってしまうが、何かを察したのか必安は静かに言葉を紡ぐ。
「その前に一つ、聞いておきますが。貴方……馬鹿なことをするつもりじゃないでしょうね」
その一言に思わずぎくりと強張ってしまう。
「必安………お前は何も心配しなくとも——」
「馬鹿無咎!まだどうにでも……あぁもういっそ逃げよう、誰も知らない所にでもさ。僕は目立つから髪を染めなきゃだけど……先に逃げてくれれば追いつくから」
無咎の目に映る必安の表情は、今まで一度も見たことのない怒りを浮かべており。赤い瞳はゆらゆらと揺らいでいた、その激情は紛れもなく自分に向けられていることに、こんな場合だというのに嬉しいと思ってしまう。
そのうちにぽつぽつと、二人の苦悩を映すように天からは水が降り始めた。
「……そうだな」
そんな事が叶えばどれだけ良いだろうか。
「よかった………ねぇ無咎、逃げる前に風邪をひいてしまってはことでしょう。傘を持ってきますからちゃんとここで待っていてくださいね」
そう言って駆け出そうとする必安の手を無咎は無意識のうちに掴んでしまう。
「どうかしました?」
「……いや、ありがとう。絶対に俺はどこにも行かない。約束だ」
「えぇ……えぇ、約束ですよ」
そんな短いやり取りの後、必安は傘を取りにその場を立ち去る。
雨足が強くなってきたのはそのすぐ後で、次第に足元へと水が満ちてくる。ここが水に浸かるのも、押し流されるのも時間の問題だろう。
覚悟をしていたはずだった。必安のためなら死ぬのは恐ろしくないと思っていた。
けれど今、こうして雨に濡れながら立ち尽くし、死の瞬間を実感すればどうしようもなく恐ろしくてたまらなくなる。
怖い、怖い、死にたくない、死ななければならない、逃げてしまいたい、それでも彼を守りたい。
大丈夫だと自分に言い聞かせるもガチガチと歯が震える。
水で体温が下がっただけだ、恐ろしいことなどない。望んでいた事だと声に出しても震えは止まらず、次第に早くなる呼吸に胸が痛くなる。
「必安、必安………ごめん、ずっと一緒にいれなくてごめん……俺がいなくても幸せになってくれるか」
一瞬だけでも良い、あの熱に触れたい。
明日も笑ってお前と過ごしたい。
ただ二人で生きていたい。
「いやだ………誰か、助けてくれ」
水かさは増し、もう足を動かすこともできない、頬を雨水が伝っていく。
けれどそれ以上にあの世界で一番美しい存在を穢させないために選んだことなのだから、そう信じにかりと笑って天を仰ぐ。
「必安、一緒にいてくれてありがとう」
愛しているよ、という言葉は水音にかき消された。

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