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六つ星に願いをかけて
(黒×白 事後描写あり)

むかしむかし、で始まる物語
もう終わってしまった僕らのおはなし



鈍い腰の違和感に謝必安はゆるゆると目を覚ます。噛み跡にまみれた一糸まとわぬ姿の自分はいつ見ても真っ白で醜く、けれども身体に残る赤だけが綺麗だなんて思えてしまう。
床を共にしたはずの人物の姿はなく、自分が眠っている間に後処理やらなんやらを全て済ませて出ていってしまったらしい。
薄情な、とは決して思わなかった。彼の、范無咎の事だから手荒に扱ってしまった事への罪悪感と、自分への負担を考えて少しでも長く身体を休ませることを優先したのだろうという事は容易に想像がつく。
髪を整え、着替えを済まそうとすれば一枚の紙が目に入る。
『昨夜は済まなかった 俺は一人で調べに行く』
そんな文言が書かれたものを丁寧にたたみながらも必安はひとつ、ため息をこぼす。
「馬鹿な無咎、どういうことか分かっているでしょうに」
酒場でお偉方の息子が暴力を振るわれた、だのというありもしない事件の犯人を探せだなんてどだい無理な話だ。言外にどちらか一方を見せしめとして差し出せというのは分かりきったことで、十日も猶予をもらえただけマシなのだろう。けれども無咎は潔白を証明してくれる人はいるだろうと信じて疑わない様子で、それが必安には歯がゆかった。
同じ志を持っていた筈なのに自分は世の理不尽に汚されて、彼はいつまでも清廉でいた。
それが眩しくて、悔しくて、羨ましくて。だから昨夜は彼を求め抱かれながらも貶めた、あわよくば最期の思い出になんて言ってしまえればと言うのはなんて虫のいい話だろう。
「ほんとうに、馬鹿なひと」
あなたのために僕は死ねますよ、とは声には出さず、ただ彼の優しさに甘えてしまったことが本当に情けなくて。
あぁどうか、彼が僕の為に命を懸けないでくれと祈ることしかできない。
「さて……と。うまく行けばいいんだけど」
いつもの白い服に着替えを終え、部屋をあとにする。
やることは一つだけ、己が犯人として処されるように動くだけだ。
どれだけ彼が怒っても、死人に口なし。許してくださいね、とだけ思った。

その日の夜にはうまく話が転がりそうだった。体裁を保てるのだからと頼み込んで、どうにか望み通りになる手応えを得た。それをどう無咎に伝えればいいか、というのが悩みのタネではあるけれど。
帰り着けば問題の彼はもう戻ってきていて、必安の帰りを待っていたらしい。
「無咎、ただいま戻りました」
「あぁ……おかえり。その……大丈夫か?」
心配そうな彼の言葉に必安はにっこりと口を弓のようにする。
「えぇ、まぁ強いて言えば少々腰が痛いですが」
「す、すまん……」
「謝る事はありません。僕としては普段が丁重すぎるくらいかと」
どうやって話を切り出すべきかわからないままに軽口を叩けば、無咎はそれで安心したらしく困ったように笑う。
「なぁ……必安」
「何でしょうか」
「あー………その、調べに行った先で少し手伝いを頼まれてな、お礼にと食い物を貰ってきたんだ。……それで」
その言葉にほっと胸をなでおろす。
「なんだ、そんな事か。別にいいですよ?一緒に食べましょうか」
そうして囲んだ食卓もあまり会話もなくただ時間だけが過ぎていく。
無咎の様子を伺うに怒っているようにも拗ねているようにも見えるが、会話したくないと言うには態度がおかしい。
何かを隠すような……そんな様子で必安は彼に対して首をかしげる。
「無咎、どうかしましたか?」
「いや……何でもない、お前こそどうかしたのか?」
「いえ……少し考え事をしていただけです」
そのまま何も話す事もなく二人で食事を終えて無咎は席をたつ。
「ご馳走様、片付けは俺がやっておくから、その…………休んでるといい」
「ふふっ、わかりました……ねぇ、無咎。話があるのですが」
よろしいですか、と言う言葉は静かに止められた。
「すまん、明日でいいか?俺も話があるんだが………この後やりたい事があってな、場所と時間は後で紙にでも書いておくから、その時に頼む」
それだけを言うと彼は必安の返事を聞くことなく去っていって、ただ見送ることしかできなかった。
次の朝、確かに彼からの手紙があった。
『例の事件について話し合いたい。南台橋の下で会おう』
必安はうなずく。どうするかなんて悩まなかった。
行くべきだ、行って、自分を差し出せと言うしかない。
しかしそれだけの筈なのにどうして胸騒ぎがするのだろう。
どうして、どうしてこんなにも不安になってしまうのだろう。
約束の場所には必安が先について、彼は時間通りにやってきた。
「すまない、待たせたか?」
「いえ、僕も今来たところです」
そう返せば無咎はどこかほっとしたような顔をする。
「それで、お話とは」
「あぁ……その事なんだが」
口ごもる無咎に対して不信感を感じ、必安は静かに言葉を続ける。
「その前に一つ、聞いておきますが。貴方……馬鹿なことをするつもりじゃないでしょうね」
その言葉に顔をこわばらせた無咎を見て確信する。
「必安……何も心配しなくとも―」
自分の事は棚に上げながらも怒りがこみあげてきて、必安は怒りのままに口を開く
「馬鹿無咎!まだどうにでも……あぁもういっそ逃げよう、誰も知らない所にでもさ。僕は目立つから髪を染めなきゃだけど……先に逃げてくれれば追いつくから」
最後のだけは噓、いいやただの願望だ。自分というお荷物がいては無理なことだろう。いかんせんこの真っ白な身体は目立ってしまう。
そしてそんな二人の心を映すようにぽつりぽつりと空からは水が落ち始めた。
「………そうだな」
無咎はわかってくれたかのように柔らかく笑みを浮かべた。
「よかった………ねぇ無咎、逃げる前に風邪をひいてしまってはことでしょう。傘を持ってきますからちゃんとここで待っていてくださいね」
そう言って駆け出そうとする必安の手を無咎がつかんで引き止めた。
「どうかしました?」
「……いや、ありがとう。絶対に俺はどこにも行かない。約束だ」
「えぇ……えぇ、約束ですよ」
そんな短いやり取りの後、必安は傘を取りにその場を離れた。
うまくいくはず、そう思っていた。
傘を渡して彼を逃がして、自分は犯人だと申し出るだけでよかった。
雨足は家に戻る間にもどんどん強くなっていて目の前さえも見えなくなっていった。
何度も転びそうになりながらもあの橋の……橋だった場所へと辿り着く。
ごうごうと言う音を立て絶望は目の前に広がり、雨は彼の身体を打ちつける。
「無咎…………?無咎、どこにいるの?」
返事はない、あるはずもない。そこにいるのは必安一人だけだ。
――絶対に俺はどこにも行かない、約束だ。
無咎の言葉が頭の中で響く。
気がついてしまった、彼は約束を守ろうとして、そうして水の中に取り残されてしまったに違いないことを。
「あ……あぁ……うじん…………無咎……やだ………嫌だ、いやだ、いやだぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
そうして雨は、慟哭さえも飲み込んでいくのだった。







『范無咎は酒場で傷害事件を起こし、明らかになる寸前暴雨によって南台橋で溺れ死んだ。傷害事件はこれにて解決したと看做される』
そう文字の並んだ紙を感情の無い目で見つめる。
結局のところ范無咎という男は馬鹿な真似をしたし、ただ守られてしまった。
彼の死体は見つからなかった。
けれど彼の自供書と状況から上はそう処理したらしい、全てが丸く収まってしまったのだ。
「ねぇ、兄さま。僕の大切な人はすぐどこかにいってしまいます」
ひとりきりの部屋で必安は会えなくなった者たちへと呟く。
「ねぇ……ねぇ、無咎。君は本当に大馬鹿者だよ」
死ぬなんてこと、ないじゃないか。
死ぬまで待つこと、ないじゃないか。
ねぇ無咎、そう虚空に問いかける。
「逃げようって言ったじゃない……どうして僕に黙って消えてしまったの」
目から雫が溢れる。
「あぁ、でも……僕のせい、だよなぁ……もっと早く動いていれば、いつもと違う様子に気がついていれば……いや、待っていてなんて言った僕が君を殺したのか」
必安は知っていた。
彼は自分に生きてほしくて自ら死んだのだ、自身を犠牲にして彼に生きてほしかったのと同じように。
けれどそれは認めたくなかった。
止められなかった。
知っていた、あの程度で彼が止まらない事を。
理解していた、彼が約束を破ってまで自分を守ろうとする事を。
だから自分が殺したと思うほかない。
いくらでも機会はあったはずだった。
しかし何もかもが遅すぎて、それもまた悲しくて。
誰も罰してくれない罪を、たったひとりで背負わざるをえなかった。







この世界は理不尽で出来ていて
運命はいつだって残酷で
君はとっても意地悪で
己以外を呪えない自分はひたすらに浅はかだった。


これは
むかしむかしからはじまる物語。
終わりの決まった物語。
幸せになれなかった二人のおはなし。



いずれ混ざり合うふたりのおはなし

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