top of page

雪のうさぎを追いかけて
(夜の番人背景推理)

ねぇ、母さん。あなたをいじめた悪い奴はみんなやっつけたよ。
ねぇ、母さん。あなたをいじめる侵入者はみんなやっつけるよ。
だから母さん、ゆっくりとお休み。
夜は僕が守るから、今度こそ僕が守るから。
だから、いなくならないで、どこにも行かないで。
ずっと ぼくの そばにいて

[newpage]


 剣の靴は雪を踏みしめ、青年は森を歩く。
悪辣なるものたちにより苛まれた母は自分の顔を見るだけで錯乱した。
だから顔を隠した青年はひとり、森に迷い込んだものを狩る。
それが獣なのか、そうでないのかは関係なく彼にとっては等しく獲物でしかない。狩りをする時は母の妨げにならないよう、誰にも見られないところでやらねばならない。
だから青年は雪深い森の奥深くへ、自分の狩場へと足を踏み入れたのだ。
さくりさくりと雪を踏みつけながら歩く。
暗い森はどこまで歩いても先が見えないが、それは侵入者の行く末と同じだ。
この果てしない闇の中で、自分が母と共にいられるならそれだけで構わない。
否――良かろう筈がない。
青年は取り戻したかった、自分と同じ顔をした悪魔に奪われた全てを。
青年は拒絶した、悪魔どもが母に害をなそうとする事を。
だから彼は自らも覆い隠した。仮面で、奇怪な出で立ちで、忌まわしき名と共に。
青年はただ独り、森の中を彷徨い歩く。
誰に理解されなくとも、誰に認められなくとも、青年はただ義務を果たす為に森を行く。
そうして、何も無いようにすれば住まいである古い家に彼は戻る。
我が家に戻れば、彼にとっての悪夢が始まる。
「……母さん、ただいま」
奥の扉を小さな音でノックするが、いつも通り返事はない。
青年の声に応える者はなく、中は恐ろしいまでに静まり返っていた。
判りきった現実を前にし、しかし青年は落胆する事なく覗き込む。
何日も掃除できていないからか部屋の中はひどい匂いがして、思わず眉をしかめた。
床に、壁にこびりついた食べ物であっただろうものは母に食事を与えようとして拒まれた時のもの。
散らばる破片はおはようと声をかけようとしてノックした時に暴れた時のもの。
その全てが、あの日無力であったゆえに起こった惨劇の証拠だ。
けれども全く苦しくなど無かった、悪魔たちが母を追い詰めた時に行った所業に比べればこんなものは大したことではない。
ベッドでは赤く長い髪が溢れており、眠っているのか母は身じろぎひとつしなかった。
寝顔の一つでも見たかったが、もし目が覚めて自分を見た瞬間に取り乱されては目も当てられない。
――ごめんなさい、もうやめてください
――母さん、どうしたの?僕だよ、わからないの?
――やめてくださいお願いします私は何も知りません、家族もなにもおりませんから、もう……
――母さん、もう大丈夫だよ。なんで……
彼女の中から自分の事など消えてしまったのだろう、ただ目の前の人物を悪魔と思い込み恐怖する。だから、もうこの行為に意味は無いのかもしれない。
それでも母を追い詰めた者たちへの憎悪を糧とし今日も繋ぎ止めるための献身を続ける。
「母さん、また食べ物を持ってくる。元気になったら食べてね」
返答はなく、青年は扉を閉める。
それでもいいと思えた、ここにいる限り母は生きているのだから。
たとえ自分を見てくれなくても、傍にいられるなら幸せなのだからと。
そうしてどれだけ過ぎただろうか。
変わらず母は眠り続け、食事をすることも無い。
それでも母は決して死んでなどいない、生きていると信じるしかなかった。
今はまだこうする事しか出来ないけれども、きっと、いつかが叶うまで。
たとえ世界が母さんの敵になろうとも、僕は最後まで一緒にいるから。
だから、もう少しだけ待っていて。それまで僕が、僕だけがあなたの夜を守るから。
けれど、それは唐突に終わりを告げる。
 空が凪いだ晩、いつものように食べ物を手に母のいる部屋の扉を開ける。
けれども、部屋の中にいるはずの彼女の姿はなかった。
眠っている筈のベッドの嵩は低く、慌てて部屋中を探すがその姿は見当たらない。
母さん、母さんと呼びかけながら家の中を探す。
荒れているとはいえ家具の少ない部屋に隠れる場所などない。ならば拐われたか外に出てしまったのだろうか。誰もここへ近づけないようにしたのは自分自身であるうえ他者が記した痕跡が家の周りにあるなら気がついてもおかしくなく、それに長くベッドで眠り続けている彼女に歩く体力などあるのだろうか。
どうして、なんで、そんな思いを抱きながら必死に母の姿を求める。
腐臭漂う部屋の中、虫が湧いたベッドの上に一通の手紙が置いてある事に気がつく。
手紙の赤い留め具はぐちゃぐちゃとした模様で、それを乱暴に開ければ中には紙が入っている。
『四対一の鬼ごっこ、勝てば叶えましょう、どんな願いも。おいでなさい、エウリュディケ荘園へ』
夜の番人、イタカへ。なんていういかにも怪しげな文面が記された一枚の紙。
何が行われようとも自分には何の関係もなく、今はただ母を探さねばならないと手紙を破り捨てようとしたのだ。
けれどもその途端頭痛がし、世界がひっくり返る。
「え……………」
暗く、何も見えない。
気配も何も感じられない暗闇へと放り込まれる。
痛い
いたい
いたいいたいいたいいたいいたい!
ああ、こんな感覚知らない。
嫌だ、置いて行かないで。
僕はここにいるのに、独りにしないで。
どこにいるの
こわいよ、いたいよ……さむいよ
たすけておかあさん!!
何の光もない世界で青年は叫ぼうとするも、それは声になる前にかき消される。
何も見えず、聞こえない。
それでも彼は叫び続ける、母に届くようにと。
けれども、その願いは叶う事はなく、やがて青年、イタカの意識も深い闇の中へと落ちていくことしかできなかった。





ねぇ、母さん。ぼく頑張ったんだよ
みんな、みんな近寄れなくしたんだよ
良い子に隠れてるだけの子供じゃないんだよ
なのにどうしていなくなってしまったの?

ううん、ううん
母さんはまだ家にいる
家で僕の帰りを待っている。
だから褒めて、僕のことを見て
それまで僕があなたのことを守るから





あれ、おかあさんって
どんなかおしてたっけ

bottom of page